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| 第33回例会 2008年2月19日 12:30〜 ホテル天地閣 |
■会長挨拶
編集中
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■幹事報告
編集中
■委員会報告
特にありませんでした
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第34回例会 2008/2/26 12:30〜 ホテル天地閣
優良職業人表彰
担当:職業奉仕委員会 |
― 会員卓話「春の偕楽園の梅」 ―
佐久間保孝 会員 担当:会計・会計監査
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偕楽園の話
食後、やや眠気を防ぐため、気軽に歴史の復習をしたい。水戸の梅「偕楽園」について、話をしたいと存じます。
毎年2月20日から3月31日まで水戸の観梅シーズンとなります。意外と近くにある為行っていない方々が多いのではないでしょうか?偕楽園は春を告げる名物庭園として「日本の歴史公園100選」に平成18年に選出されました。つとに岡山の後楽園、金沢の兼六園と並んで日本三名園と称されています。それでは、「偕楽園」についてさらに詳しくお話したいと存じます。
1.偕楽園の名称由来
「偕楽園」の名称の由来は中国の古典である「孟子」の「古(いにしえ)の人は民の階(とも)に楽しむ故に能く楽しむなり」と言うところから領民と「階(とも)」に「楽しむ」ための「園」として命名されたもの
2.偕楽園の歴史
水戸藩第9代当主・徳川斉昭(号を烈公と称した人物で15代将軍・徳川慶喜の実父であります)が1833年(今から175年前)に梅林計画を立案し、翌年の1834年に七面山の一角を切り開き飢餓・軍用の非常食としての梅を植えたのが始まりです。
この時代は尊王論・攘夷論に分かれ幕末激動の時期にあり、水戸学の立場から斉昭は強硬な攘夷論者であるとともに第13代将軍・徳川家定の将軍継嗣問題で井伊直弼が紀州家を擁しているのに対し、斉昭は実子である一橋派を形成しておりました。当時の幕府にとっては斉昭は過激な中心人物でありました。この時代の背景からも軍用の非常食を考えたことがうなづけるかと存じます。梅林計画の工事開始から8年の歳月をかけて1842年の7月に完成いたしました(今から166年前のことです)。
偕楽園は軍事用の梅林と藩士の休養の場として更に、一部領民に開放し、皆で楽しむ娯楽の場としての役割を果たすことになったのであります。そして時代の歴史を重ね今日に至っております。
3.偕楽園の概要
当初は軍事用として3万本の植林を行いました。果実を食用とするための品種「実梅」が中心でその後、花を見るために育成、選抜されてきた品種「花梅」の植林に変えられてきたものです。現在は110種3000本の梅樹となっております。中でも花の形・香り・色などが優れている6品種「江南所無」「白難波」「月影」「虎の尾」「柳川枝垂」「烈公梅」を「水戸の6銘木」と称して観賞用に親しまれているところです、是非皆様もお出かけいただき意識して観賞して下さい。
現在110種を500種まで増集し育生する計画を推進しているところであります。偕楽園の面積は13ヘクタールでありますが、千波公園などと併せての名称で偕楽園公園と統一してみると、300ヘクタールとなります。これはニューヨーク市のセントラルパークについで世界2位の広さを誇るものです。
4.近年の動き
近年の動きとしては、水戸の弘道館・偕楽園・千波湖畔を対象として「世界遺産登録」を申請しているところです。日立市は桜をシンボルとしているところですが、茨城県を代表とする梅の名所「偕楽園」に行き、春を感じてみるのも一興と思えます。是非、奥様・家族とお出掛けになってみてください。
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